Love & Ginger - 物語文章
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【1】
県立岡上(おかがみ)高校は文字通り丘の上にあった。
校内からは可能な限り段差を排除し、校舎にはエレベーターを配置しているという全国でも屈指のバリアフリー建築ではあるのだが、丘の上という立地が皮肉にもこの学校の持つ最大のバリア(障壁)となっていた。学校にたどり着くためにはどうしても長い坂を上らなくてはならないので、歩行器や車椅子を利用する人間にとっては自力で通うには困難な通学先になってしまうのだ。
5月。大型連休を自宅でゴロゴロして過ごしていた岡上高校2年生の仲間祐(なかま・たすく)は、隣に新しい住人が引っ越してきたらしいということに気付いた。お隣からの引越しの挨拶のような粗品を玄関で受け取ったのが彼だった。
彼はそのときは新しい隣の住人になどは気にも留めなかった。
連休の明けた月曜日、祐が登校のためにいつも通りやや余裕を持って自宅を出て新しい隣人の家の前を通り過ぎようとしたところ、自分と同じ岡上高校の制服を着た少女が先日引越しの挨拶の品を届けに来たおばさんと玄関先でもめている場面に遭遇した。おばさんはおそらく少女の母親なのだろう。
少女は、車椅子に乗っていた。
「いいって言ってるでしょお母さん。こどもじゃないんだから学校くらいひとりで行くから。」
「んなこと言ったって学校って坂の上にあるじゃない。車で送ったげるって言ってるんだから素直に乗ればいいのよ。」
「イヤよ。」
「ミサキ!」
祐は母子のやりとりをぼんやり聞いていた。
表札を見たところ「水守崎」と書いてあったので、「ミサキ」というのは車椅子の少女の名前なのだろう。
(ところでこれってミサキモリって読むのかな?)
(いや、違うか、ミモリサキか。)
(どうやら車椅子の少女、坂の上にある岡上高校にこれから登校するのだけれど母親に自動車で送ってもらいたくないみたいだな。
でも正直、あの坂車椅子じゃきついと思うんだけどなあ。自動車が正解なんじゃないか…。)
「すいませーん。」
祐は隣の親子の押し問答を難しい顔をしてしばらく見守っていた後、意を決して声をかけた。
「あら、お隣さん。」
母親らしいおばさんのほうが先にこっちに気付き、愛想のいい表情を向けてくれた。
「何かご用? 仲間さん。息子さんですよね?」
「そうです。次男のタスクと言います。」
「タスクさんね。よろしく。」
「あらその制服…」
「ええと、そちらの方、もしかして岡上高校の生徒なんですか?」
車椅子の少女がホイールを左右で逆方向に回転させ、椅子ごと祐の方に身体を向ける。
「そうです、うちの娘、岡上高校に転入するんですよ。2年生です。」
祐の質問に答えたのは母親だった。
「水守崎岬(ミモリサキ・ミサキ)です。よろしくお隣さん。」
少女は軽い笑みを浮かべて祐に会釈した。
「背、高いですね。」
岬は初対面の異性に臆することなく質問を返した。
「いや、それほどでも… あなた、座ってるからそう見えるんじゃないかな?」
「いーえー高いわよあなた何センチ?」
母親が会話の跡を継いだ。
「182センチ、です。」
「それより、もしかしたら、そちらのええと、ミサキさん。
車で送ってもらうの嫌がっているみたいじゃないですか。」
「ええそうなのよこの娘ッたらあんなに長い坂があるのに。」
「もしお嫌でなければ、ボクが一緒に登校しましょうか?
坂道でどうしてもきつかったら車椅子押しますし、お嫌なら無理にお手伝いしませんし。
いかがでしょう?」
「あらまあいいのあなた? そうしなさいよミサキ。」
正直言って祐自身にとってはこの申し出、相当勇気を振り絞ってのものであった。
何か困っていそうな雰囲気はあったとはいえ、同年代の異性に「一緒に登校しよう」と誘いをかけているのだから、ガールフレンドのひとりもいない(そしてもちろん“いなかった”)祐にとってはやはり大きな冒険ではあったと言って過言ではない。
「…。」
岬はしばらく眉間にしわを寄せて黙って考えた後、
「お母さんの車よりましか。
じゃあ、お願いします。」
と返答した。
*
「一緒のクラスになるかもしれませんね。あなた、2年生って言ってましたよね。」
「仲間クンは女子のこといつも『あなた』って呼ぶの?」
「そうですね、『あなた』か、『ユア・ハイネス』か。」
岬が車椅子をこぐ隣を祐は歩いていた。
「ボク、車椅子、押したくてウズウズしてるんですけれど、押しちゃマズイですかね。」
「マズイです。」
「あなたは、」
「私には『ユア・ハイネス』使ってよ。」
「ユア・ハイネスは、びっくりするほどキャラが濃いんですね。」
「お気に召さなかったかしら?」
「お気に召しました。」
「お持ち帰り?」
「そうですね。ゆくゆくは。」
「2年生って何クラスあるの?」
「2クラス。A組とB組。」
「すくなっ。」
「少子化をバカにしてはいけません。」
「確率、2分の1だね。一緒のクラスになるの。」
「お隣さんが転入生って言ったら、イイですね、マンガみたいで。」
「なんてマンガ?」
「ドラゴンボール。」
彼らの住まいは岡上高校の近くの住宅地にあったので、彼らは通学に電車もバスも使う必要がなかった。
それでも、自宅から高校まで、歩いて20分はかかる。その最後の5分間は上り坂を登るということになる。
住々(すみずみ)神社の石段の前を通り過ぎるあたりから、高校に通じる上り坂は始まる。
「ユア・ハイネス。」
「それやめよう。」
「ミサキモリさん。」
「ミモリサキなんだけど。」
「水守崎さん。」
「あだ名で呼んでくれない? せっかく知り合いになったんだから。」
「なんていうあだ名をお持ちですか?」
「『ユア・ハイネス』っていうあだ名があったなあ。」
「ユア・ハイネス。」
「嘘だし。ああ、振り出しに戻った。」
「『ミサキモリ』をあだ名にします。決定。」
「それでもいいよ。」
「ミサキモリさん。」
「なあに? すけさん。」
「すけさん?」
「『ナカマ』『タスク』。仲間で助けてくれる人ってことでしょ。
つまり、助っ人。
で、すけさん。」
「ミサキモリさん、坂道ですが。」
「そうだのうすけさんや。」
「椅子、お押ししましょうか?」
「結構です。」
岬は、ぜえぜえ息を鳴らしながら、顔を真っ赤にしながら、額やら二の腕やらを汗だくにしながら、あくまで自力で坂道を車椅子で登り続けた。
そして、坂も半分まで来たところで、ブレーキレバーを引いて車椅子の車輪を固定した。
「…。」
「かわいい目で睨まないでくださいよ。」
「惚れちゃう?」
「惚れますね。」
「ザクザクほれます。」
「坂って、キライ。」
「ボクが押しましょうか?」
(車椅子に乗っているからこそ、ひとの世話にはなりたくないっていう、プライドがあるんだろうなあ。)
「ボクに押させてください。車椅子、押してみたいんですよ、めったにそういう機会ないから。
ご老人ならともかく、若い女のコの乗った車椅子を押すなんて、なかなかロマンティックじゃないですか。」
「マンガみたいに?」
「マンガみたいに。」
「ドラゴンボール?」
「いや。」
「るろうに剣心。」
「しょうがないなあもう。すけさんに押させてあげるよ。」
結局岬の新しい学校生活初日は、学校に続く坂道は祐に車椅子を押してもらっての登校になった。
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