ネコと人形 - 物語文章
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【01】
ネコがお気に入りのソファの上で昼寝をしていると冷蔵庫の脇に丈夫そうな紙袋が置いてあるのに気づいた。ここしばらく雨に降られていないのでお気に入りのソファの綿はじめじめしておらず非常に寝心地がいい。
しばらくうとうとしたあと目を覚ましたネコは紙袋に注意を払った。紙袋はまだ先ほどと同じ冷蔵庫の脇に置いてある。このゴミ捨て場には生ゴミはほとんど来ないので袋の中に食べ物が入っていることは期待できそうにない。ネコはいつものように食べ物を探すために街に出かけていった。
昼を過ぎてネコがゴミ捨て場に帰ってくるとやはり紙袋は同じところにあった。ネコは紙袋をぼんやり眺めながら古タイヤの山の脇に横になってまたしばらく昼寝をした。お気に入りのソファの上はその時間帯には直射日光が当たるのでこの季節だと少々暑すぎるのだ。
ネコはひげに当たるそよ風を感じながら何かの夢を見たがよく思い出せない種類の夢だった。
ネコが昼寝から覚めると冷蔵庫の脇に置いてある紙袋はやはりそのままの位置に置いてあった。ネコはそこに紙袋が置かれていることに慣れてきた。
日が傾いてきてお気に入りのソファの上に日光が直接は当たらなくなると、ネコはお気に入りのソファの上で昼寝をした。
暗くなって空腹を感じるようになってくるといつもならネコは足音を立てないように街に行き食べ物を探すことにしているのだが今回は億劫なのでゴミ捨て場でだらだらしていることにした。街に行ったときでも用事が済めばすぐにゴミ捨て場に帰ってきた。用事が済まなくても帰りたくなるとゴミ捨て場に帰ってきた。今回みたいに空腹になっても街に行かないでゴミ捨て場にしばらくい続けることもあった。
ネコは昼寝にはお気に入りのソファの上を使うのが好きだったが夜眠るときは埃っぽい廃車の後部座席で寝るようにしていた。そこは雨がしのげるし冬場でも寒さが比較的ましだった。ネコが眠るとき、冷蔵庫の脇に置いてある紙袋はもとのままだった。
【02】
朝、ネコが目を覚ますと冷蔵庫の脇に置いてあった紙袋はやはりもとと同じ場所にそのままになっていた。ネコは毛づくろいをし四肢を伸ばした。
冷蔵庫の脇に置いてある紙袋は元の位置に置かれていたが、ネコがそれをぼんやり眺めていると、ときどきかすかに中で何かがこすれる音がした。
かさ。
ネコは街に行って食べ物を探し、ゴミ捨て場に帰ってきた。
ネコは午前中の涼しい時間帯をお気に入りのソファの上で昼寝して過ごした。
昼過ぎになって昼寝から目を覚ましたネコは、冷蔵庫の脇に置いてある紙袋のそばに行ってみた。
匂いを嗅いでみる。埃っぽい紙袋の匂いと、人間の女の子のような良い匂いがかすかにする。
袋の中からとてもちいさな物音がする。ネコは注意深く紙袋の中から聞こえてくる音に耳を傾けた。
袋の中からは二種類の音が聞こえてくるようだった。
ひとつはなにか繊細な布がこすれるような衣擦れの音。
もうひとつはおびえた小さい生き物がすすり泣くような声だった。
【03】
その人形が冷蔵庫の脇に置いてある紙袋の中から出てきたのはネコが袋をはじめて見つけた日から4日間経った後だった。
それまでネコはいつも通りお気に入りのソファの上で昼寝をし、街に出かけ(あるいは出かけずに)、廃車の後部座席で眠って過ごした。
人形が出てきた日は雨が降っていた。ネコは廃車の中で雨宿りをしながら昼寝してた。すると紙袋の口が開くごそごそという音が聞こえてきた。
人形が紙袋の中から出てきた。
「こっちにいらっしゃい、人形さん。雨宿りができますよ。」猫は言った。
「あなたよくそんな汚らしいじどうしゃになんて乗ってられるわね。きったなあい。」と人形は言った。
「わたしはここが気に入ってるんですよ。」とネコは言った。
人形はネコの車に入り込んだ。靴を片方しか履いてなかった。
【04】
人形が車に入ってきてからもネコは構わず昼寝を続けた。人形は難しく・且つ不機嫌な顔をして姿勢良く廃車の後部座席にネコと並んで座っていた。ネコはおなかが減ってきたが雨がやまないのでそのままぐうたらしていた。
雨はその日の夕方にはやんだ。ネコは雨が上がっていることに気づくと車から降りて水溜りで水を飲んだ。そして水溜りを避けながら街まで出かけていった。
夜になってネコが車に戻ってくると人形はまだ自動車の後ろの座席に座ったままだった。あいかわらず張り詰めた表情をして背筋がすらっと伸びていた。
ネコは寝床に横になり、お気に入りのソファが雨で濡れてしまったので乾くまでしばらくソファの上で昼寝ができないなと思った。そして、
「なにかお困りではないですか?」
と、人形に訊いた。
「野良猫風情が気安く話しかけないで頂戴。
私はとても高級な人形なのよ。
そんなことも判らないなんて。」
と人形は言った。
「大変失礼いたしました。」
と言うとネコは、身体を起こし、毛づくろいをして、姿勢を正し、大きく深呼吸をして、真っ黒な墨を使い几帳面な楷書体で書かれた大判の判決文を読み上げるような物々しさで、人形にこう言った。
「なにかお困りではないですか?」
「…
別に…」
「あなたには関係ないでしょ。」
人形はそれだけ答えた。
ネコは眠った。肉球の間に詰まった泥が取れきっていなくて気になったけれど眠れないというほどではなかった。
人形も、ネコが眠りについた後、しばらくして、身体を横たえた。
【05】
人形はとても立派で高級な人形だった。
髪の毛は本物の人間の髪で作られていた。まっすぐな黒髪で、長さは人形の腰の辺りまであった。
目はガラスで精巧に作られていた。瞳の色は黒かった。
関節は球体を上手く工夫したもので、中をゴムひもが通っているようだった。とても洗練された技術が見受けられた。
服は、フリルとリボンとのたくさん付いた・すみずみまで熱心に装飾が施された黒い服だった。ドレスと言ってもいいものだった。
靴はつやのある合成皮革でできていて、靴底はコルクから作られていた。人形は靴を片方しか履いていなかった。靴を履いていないほうの足に履いている薄手の靴下には少し泥が付いてしまっていた。
人形が出てきてからも、ネコは普段通り昼寝をし、街に行き、街から戻り、古タイヤで爪を磨ぎ、車の中で眠った。人形は車からほとんど出なかったしゴミ捨て場から外に出ることは全くなかった。
「あなたはどうして捨てられたんですか?」あるとき、ネコは人形に尋ねた。
「私は捨てられてなんていなくてよ。ただちょっとお暇を出されただけ。」
「でもここはゴミ捨て場ですよ。」
「そう。どおりで汚らしいところだわ。あなたもすこしはお掃除したら?」
「あなた、こんなところに住んで、いつもごろごろしてふらふらして、退屈じゃないの? まるでおばかさんみたい。」
人形は言った。
「おばかさんみたいなのではなくおばかさんなのかもしれません。」
「あなたは飼い主に捨てられたの? それでこんなところに住んでるのかしら?」
「いや、そうではありません。わたしの知る限りでは、わたしは人間に飼われたことはありません。」
「あなたには人間の持ち主がいたんですか?」とネコは人形に訪ねた。
「あなたなんかとは違って、私にはちゃんとした人間の女の子の持ち主がいるわ。
いろいろなお洋服を着せてくれて、いつも髪をブラシで整えてくれて、よく社交的な集まりにも出かけるのよ。
他の女の子たちはみんな、私たちの事をため息を混ぜてうらやましがるのだわ。」
「あなたはとても、立派な格好をしていますものね。」
「立派なのは格好だけじゃなくてよ。
それに、あなたみたいな汚い野良ネコに、私の立派さは判りっこないわ。」
「そうですね。」
「本当は、わたしに判ることはほとんど無いのです。」
ネコは言った。
【06】
「私が知らない間に、女の子が私を迎えに来たことはなかったかしら。」
ネコが顔を洗っていると、人形が車の中から声を掛けてきた。脚をぶらぶらさせている。
「わたしの知る限りでは、ありません。」
「やっぱり、いまのままじゃ、ダメなのかしら…」
「あなたはその女のコが迎えに来てくれるのを待っているんですね。」
「あなた、私の靴のもう片方、見かけたことないかしら?」
人形はネコからの質問には答えずに新しい質問で返した。
「わたしの目がフシアナでなければ、見かけたことはありません。」
「あなたって本当に役立たずだわ。なんて役立たずなのかしら。」
「大変申し訳ない。」
「その靴が必要なんですか?」
「あなた、いつも暇そうだから、私の靴を探して来て頂戴。」
「いま履いている靴の、もう片一方ですか。」
「決まってるでしょ。」
ネコはとりあえず探すとも探さないとも言わないで、人形が入っていた紙袋の中に頭を突っ込んでみた。
「…なにやってるのよ。」
「紙袋はとても面白い遊び道具ですね。」
「私の靴がそんな所にあるわけないでしょ。あなたって本当にバッカだわ。」
「まあ気が向いたら靴を探してみましょう。」
【07】
ある日の夕方、ネコが町から帰ってくると人形はネコに尋ねた。
「私の靴は見付かった?」
「こんなのがありましたがどうでしょう。」
ネコがくわえてきたのは幼児用のサンダルだった。歩くたびにきゅっきゅっと音が鳴るタイプのもので、ピンク色で、女の子用だった。ネコは自分の牙の跡が付かないように慎重にくわえてきたつもりだったのだが、慣れていないためサンダルにはネコの歯型が付いてしまっていた。
「あなたにはこの汚いサンダルが私の履いている靴と同じ物に見えるのかしら?」
「いいえ、どうでしょう。けれど、ないよりはましかもしれません。」
「私が探して欲しいのは、いま履いている、この靴の、もう片一方なのよ。履物が欲しいのではないの。そんなことも分からないの。」
「じゃあまあ、靴は引き続き気が向いたら探してみましょう。もしよかったらこのサンダルも使ってあげてください。少なくとも靴下で歩き回るよりはマシかもしれません。」
「そんなださくて汚いサンダル私には似合わないわ。もとの靴じゃないと全然意味がないの。」
「あなたにとってその靴はとても大事なものなんですね。」
「あったりまえじゃないの。私にとって大切なのは、その靴を見つけることだけなの。判ったらさっさと探してきて頂戴。」
「ま。また明日にでも。」
そう言うとネコは、お気に入りのソファの上に跳び乗り、昼寝を始めた。
【08】
ネコが街に出かけようとすると、人形がネコを呼び止めた。
「ねえあなた、ちゃんと私の靴を探してきて頂戴ね。」
「そうですね。まあ、善処します。」
「私の靴の形はちゃんと覚えてる?」
「靴底がコルクで出来ている。」
「この靴の特徴は、足の甲の部分とリボンとが真鍮のリベットでしっかり固定されていることなの。覚えて頂戴。」
「うけたまわりました。」
「私の靴はこういう風に、小さいでしょう? たんすと壁の間の隙間とかテレビの裏とか狭いところにあるかもしれないからよく探してきて頂戴。」
「狭いところはわたしの得意分野です。」
たんすやテレビは街にはなくてこのゴミ捨て場のほうにあるので、ネコはゴミ捨て場も探さなくてはいけないなと思った。
ネコが街から帰ってくると、人形はゴミ捨て場の入り口までネコを迎えに出てきた。ネコが拾ってきたサンダルを履いていて、きゅっきゅっと音がした。
「私の靴は見付かったかしら?」
ネコは実際、人形が自分を出迎えにくるほど熱心に靴のことを気に掛けているということに驚いていた。
「大変申し訳ない。あなたの靴は見つかっていません。」
「そう…」
ネコはとても申し訳ない気持ちになったし、もっとしっかり探してくればよかったと思った。ネコはあまり熱心に靴を探してきたというわけではなかったので。
「また今度街に行くとき、探してみましょう。」
「お願いね。」
【09】
夜、その日は月が出ていた。人形はネコのお気に入りのソファに腰掛けて月を見ていた。ネコもお気に入りのソファに座って月を見ていた。
ネコはそろそろ眠たい時間だったのだがいまなら人形と多少は話ができるのではないかと思い、人形に話しかけた。
「靴をどこで失くしたのか覚えてないのですか。」
「あんたバカね。覚えてるわけないじゃない。覚えてるくらいなら失くしたりなんかしないわ。」
「ゴミ捨て場に来てから失くしたんですか? 持ち主の家で失くしたのですか?」
「あの子の家で失くしたに決まっているわ。だって私はあの紙袋に入ってここに来たのだし、紙袋から出てきた時にはもう靴を片方履いてなかったし、紙袋の中には靴がなかったのだから、ここで失くせる訳ないじゃない。」
「そうですね。」
紙袋に頭を突っ込んだネコ自身、そこに靴がなかったのは知っていた。
「それに私は、靴を失くしてしまったから、ここにお暇に出されてしまったんだもの。」
「そうなんですか。」
「そうに決まっているわ。私はお人形だもの。欠けていたり壊れていたり汚れていたりしたら、綺麗じゃないでしょ? 綺麗じゃないお人形なんて、要らないの。
だから私は、靴を見つけて、綺麗になって、あの子に迎えに来てもらうの。」
ネコは初めて、人形の考えているその内容を耳にすることが出来たと感じた。
「わたしの目にはあなたは綺麗に見えますよ。」
「そんなの、当たり前じゃない。けれど違うの。綺麗の意味が違うのよ。靴が片方しかないと、いらいらするでしょ?」
「わたしは靴を履かないものですから。」
「とにかく、揃っていると気持ちがいいし、欠けていると気持ちが悪いの。私は気持ち悪くちゃいけないのよ。」
「あなたは持ち主がお迎えに来てくれるのを待っているんですね。」
「靴が無いと迎えに来てくれないみたい。やっぱり靴を揃えないとダメなんだわ。本当は埃や泥の汚れも落としたいんだけれど、私にもあなたにもそこまでは無理ね。あの子がいつものように綺麗にしてくれるわ。」
「つまり、靴が見付かれば、持ち主の女の子があなたを迎えに来てくれるんですね。」
「そうに決まっているわ。」
「だから、私の大事な靴を、見つけてきて頂戴ね。」
ネコは「善処します。」と言って、お気に入りのソファから降り、廃車の後部座席にのぼって、寝床に横になり、眠りについた。
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