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鬼子譚 - 物語文章

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【02_05】

由仁に角が生えた。我々一家の周りの世界が、現実から幻想の領域にシフトしていく脈動を感じた。

わたしは結局救急車を呼んだ。由仁とえりかさんとは町の病院に連れて行かれ、わたしはそれに付き添った。その日はふたりとも入院することになった。えりかさんはおそらく次の日には退院になるだろうけれど、由仁のほうはどういう症状が出るのか予測がつかない。

翌日。わたしは学校を休んで病院にいた。
えりかさんは簡単な診察を受け、これ以上の入院は必要ないとされた。
由仁はまだ意識をこそ取り戻さなかったが、医者の言うには命には別状は無いらしいとのことだった。
わたしたちは由仁が気づくまではずっとそばに付き添っていてあげたかったし病院にはそう求めたが、夜には引き取るように言われてしまった。不本意だが従わざるを得ない。

由仁の病室。わたしとえりかさんとは並んで由仁を見守っていた。

「パパさん、救急車呼んじゃったんですね。」

えりかさんが何を言おうとしているのか、多分、判る。
由仁に角が生えたことをまずは秘匿すべきだったのではないか、ということをえりかさんは気にしているんじゃないだろうか。

由仁に角が生えたということは、彼女が村の言い伝えによるところの鬼子であるということになる。
鬼子は生贄として殺されなくてはならない。
その言い伝えが、村というコミュニティ全体が強く支持しているものなのであれば、由仁に角が生えたことを公にしてしまうことは有無を言わさず彼女を殺させてしまうことにつながる危険性がある。

また、そういう事情の前に、我々が今回の件をどう受け止めるべきなのかを話し合わないといけない。
もし由仁の引渡しをどこぞの人間から要求されるとして、我々はそれに従うべきか否か。

「こういうことは、というかこういうことに限らず、わたしは隠し事はしないほうがいいという主義なんです。」
「あなたの主義はそうでしょうけれど、今は由仁ちゃんの…」
「ほら、それに、由仁は昨晩ずいぶん症状が重そうだったから、生命維持のために医学的な処置が必要になったかも知れません。とにかく今に至るまで由仁が大事には至ってないんですから良しとしましょうよ。」
「…」

えりかさんは何かを考え込んでいるようだった。わたしたちはあまり言葉も交わさず、ずっと由仁に付き添っていた。


わたしは売店で買ったノートにメモをしながら考えごとをした。そして今回の件と今後の方針とについての自分の考えをまとめた。
判らないことはいくつもあったが、迷うようなことは特になかった。

「えりかさん、お話があります。今後の方針について話し合いましょう。大丈夫ですか?」
「ええ。ここでお話しするんですか?」
「由仁から目を離したくないものですから。」
「判りました。」


「一番重要な結論から言えば、何があっても由仁に味方し彼女を守りましょうということです。」

わたしはメモを参照しながらなるべく理路整然と話を進められるように努力した。

「由仁に生えた角は、これは科学や医学の側から説明するよりは村の言い伝えから説明したほうがいいように思います。」
「つまり、由仁ちゃんが…」
「由仁が鬼子だということです。」
わたしは非科学的な事象に対して特に拒絶反応を示すタイプではなかった。むしろ、そういうこともあり得るということを平然と受け入れたいという傾向を持っていた。

「私の… せいで…」
えりかさんが涙を流し始めた。

「いや、えりかさんが原因だということは判断できないんじゃないですか。」
「私がずっと鬼子になりたがっていたから、きっと、由仁ちゃんに鬼が取り付いて…」
えりかさんは自分を責めていた。今のえりかさんを苦しめている要素はいくつもあるだろうが、そのうちの主要なもののひとつがこの自責の念であるのに違いない。

「ある有名な精神医学者の著作にこういうことが書かれていました。
そのひとは凶悪な事件が起こるたびにジャーナリストから電話が来て事件の原因を質問されるんですって。ジャーナリストとしては『いま流行のアニメがいけない』とか『暴力的な内容のゲームのせいだ』とか『親が悪い』とか判りやすい犯人を一言ずばっと言って欲しいんでしょうね。
けれど、その著者は必ず、『わかりません』とだけ答えるんだそうです。
物事というものはひとつの現象に対してひとつだけの理由しかないような単純なつながりはしていないという考えなんだそうですね。
それに、犯人探しにばかり躍起になると物事の本来の問題点が見過ごされてしまうと。
仮に原因とされるものが判明したとして、それを責めることで周りは安心してしまう。というより、『悪いのは自分じゃない』ということを確認したいだけなんでしょうね。
それでいて、事件の根本的な解決については誰も関心を払わない。周りにとっては『悪いのは自分ではない』ということだけ確認できればあとの興味は無いのでしょうね。
要するに、原因なんてどうでもいいんだなということをわたしはその本から学んだということです。」

「えりかさん、由仁の角の原因がどこにあろうが、我々の今後にはたいして足しにならないのだと思いますよ。」

「鬼子は… 災いをもたらすから… 生贄として殺されなくちゃいけない…」
えりかさんがつぶやいた。目が赤くはれている。

由仁は生贄として殺されなくてはならない。
これが、額に生えた角を見たときに、わたしとえりかさんとの頭に真っ先に浮かんだ問題だった。

「えりかさん。その件についてのわたしの考えと方針とをお伝えします。これはとても大事なことです。」
「はい。」

「ええと。まずなによりも。
鬼子は生贄として殺されなくてはならないかもしれませんが、わたしとしては、そんなこと知ったことかという立場をとります。
由仁は殺させないし、誰にも渡しません。」

「え、でも…」

「鬼子は、災いをもたらすから、生贄として、殺されなくてはならない、という論法は、考えてみれば誰がいつどうして決めたのかよく判らないものです。
これは、わたしたち真に受ける側が勝手に真に受けているだけなのではないでしょうか。
というのは実はどうでもよく、もしその言い伝えが完全無欠に正しいとしても、無視します。これは正しさの問題ではなくスタンスの問題とみなすわけですね。
例えるなら、そうだなあ。『ここが駐車禁止だろうがおれはここに車停めてやるぜ』、という感じです。」

「でも、レッカー車が来たら…」

「その問題なのですが、ひょっとして、村の中でもこんな言い伝えを重要視してしまっているのは実はわたしたちふたりだけかもしれませんよ。
レッカー車は来ないかもしれない。
『その娘、生贄にささげろおー』とか叫びながら由仁を奪おうとする何者かが現れる、という想像は、なんだかばかばかしい気がします。村長の井組のおじさんあたりが由仁を強奪しに来るんですか?
冷静になれば我々がこうやって頭を突き合わせて深刻そうにしているのだってかなり滑稽かもしれません。」

「そんなこと、ないですよ!」
えりかさんが語調を強めて言った。目の奥に、溶岩が冷えてできた黒い塊のような、抜きがたい想念が感じ取れた。

「まあとにかく、わたしの考えも、何者かが由仁を脅かしに来るかもしれないのを前提で進めています。
レッカー車が来たら、体を張って妨害しましょう。レッカー車の運転手だって・取り締まりに来る係の人だって、所詮は給料をもらってその役目を請け負っているただの人間に過ぎません。こちらが全身全霊で対応すれば、対抗し得ない相手ではない気もします。
由仁を脅かす存在が現れたら、それと戦って由仁を守ろうというのがわたしの考えであり方針です。
村の言い伝えの言い回しを全面的に採用するなら、わたしが表明する立場はこういうものになります。『鬼子が災いをもたらすのだとしても、鬼子を守って災いを撒き散らさせ続けてやる』。」

「そんなこと、許されるんでしょうか…?」
「許すも何も、誰に許しを請わないといけないですかね。そんなこと許さんという人間がいたにしても、『あ、そう』で済ませます。
誰だが知らないがそいつなんかに許されなくて一向に構わないというわけですな。
鬼子の生存を認めない立場の持つ権威と・娘を守ろうとする親の持つ権威との間に上下があるのだとしたら、親の立場のほうが上なんじゃないですかね。まあ、下だとしても気にはしませんが。」

「えりかさんも、一緒に由仁を守ってくれますか?」

「私は… まだ、よく判りません… 頭がごちゃごちゃしちゃって…」

彼女にとって、鬼子にまつわることは精神の深いところに碇を下ろしてしまっている問題なのだろう。
「鬼子は災いをもたらすから生贄として殺されなくてはならない」という一文は、彼女にとっては数学の定理のような、変更しがたい信仰に近いものになっているのかもしれない。
娘を愛している。
鬼子は殺されなくてはならない。
ふたつの信念の間に矛盾がある。
その葛藤がえりかさんを苦しめる。

えりかさんが、迷う余地無く娘の側に付けなくても、わたしは責めたくないと思った。きっと彼女は、葛藤を乗り越えて、由仁を一緒に守ってくれるに違いない。
そう信じた。


「で、由仁の角ですが、さすがにこのままでは彼女も生活しにくいでしょう。レントゲンとかでいろいろ調べてもらって、切り取っても危険が無いようでしたら、外科手術か何かで取っちゃってもらってしまいましょう。
さすがに今日明日というようなすぐにではなく、長期的な見通しとしてですね。手術代の心配もしなくてはならないかもしれません。
村の人々の反応が由仁や我々に害の及ぶ性質のものであったなら、引っ越すことも考えなくてはならないでしょう。
まずはとにかく由仁が目覚めるのを祈るばかりですね。」


由仁はなかなか目を覚まさなかった。
えりかさんは一度自宅に戻り、由仁の着替えや洗面用具などの入院の際に必要そうなものを持ってきた。わたしは由仁の目が覚め次第・あるいは明日にでも退院になるんじゃないかとは思っていたのだが、それがどれくらい先になるのかは実際には見当も付かなかった。
わたしたちは病院の取り決めた面会可能時間いっぱいまでずっと病室にいたが、ついには自宅に戻らざるを得なくなった。


真夜中に電話が鳴った。午前三時頃ではなかったか。
わたしが受話器を取った。えりかさんも起きてきた。我々は由仁の容態が悪化したのではないかと恐れた。

夜勤の看護婦なのだろうか。電話の相手の声が告げた。


「娘さんが消えてしまいました。」

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