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[マシュマロ]

【速報】幼女が養女になった

【02-01】

わたしのアパートは板野神社から歩いて5分程度の位置にある。
池袋からの距離で言えば徒歩で20分くらい。
山手線の円から外側に出ると賃貸物件の家賃価格の相場が下がる。アパートを探したとき、予定していた価格帯のアパートが、池袋を基点として山手線の外側に出た位置に見つかった。人生一度は都心に住まないといけないという思いがあったのでそこに決めた。

シタリちゃんの手を引いて板野神社からアパートまで歩いた。
アパートは1Kで狭い。メインの部屋の大きさが六畳。風呂・トイレ付きで、洗濯機置き場がある。一人で暮らす分にはちょうどいいけれど、こどもとはいえふたり目が日常的に場所を占めるような余地はないように思える。
あの狭い部屋に常にこどもと一緒にいなくてはならないのか。こどもは好きだしシタリちゃんはかわいいので大きな苦痛にはならないだろうけれど、これは一人の時間を持てなくなるということだ。恐ろしくしんどいことだと感じる。

プライベートな時間が持てなくなる生活が、わたしに耐えられるだろうか。

シタリちゃんは終始行儀よく歩いた。こどもらしくはしゃいだり走りまわったり道端の小石に目を止めて立ち止まったりせず、わたしの手をぎゅっとつかんでしずしずとついてきた。

アパートについた。
二階建ての小さなアパートの一階。

「ここがわたしのおうちです。」

鍵を開け、扉を開き、シタリちゃんを入れてやり、電気を点ける。

「ただいま。」
とわたしが言うと、
「ただいま…」
と、シタリちゃんが復唱した。

「シタリちゃん、落ち着く前にちょっと部屋を片付けたいので、この上に乗っててくれるかな。」
「はい。とおさま。」
「トイレとかは今はいい?」
「おトイレは、いまは、だいじょうぶです。」

わたしの部屋にはロフトベッドがある。狭い空間を有効に利用するためのコツは高さを使うことで、パソコン机の頭上がロフトベッドになっている。
正直言ってわたしの部屋は少女の教育上よろしい環境にあるとは言いがたい。机には美少女キャラのフィギュアが並んでいる。本棚にはある種のその、なんだ。マンガが並んでいる。
マンガはシタリちゃんの目に触れるべきではないので片付けるべきだろう。購入したけれど内容がそんなに気に入ってないマンガはこれを機に手放そう。ブックオフに売ることになると思う。厳選した精鋭だけ残して押入れの奥地に駐屯してもらうことにする。
わたしはいざというときのために取っておいたアマゾンのダンボールのうちひとつを組み立て、雑兵マンガを詰め込んでいった。

次にフィギュアである。
フィギュアは片付けるべきであろうか。これはシタリちゃんの教育上の影響が著しく悪いと判断すべきだろうか。
出来ればフィギュアは片付けたくない。アパートは狭く、フィギュアが際限なく飾れるわけではない。そのため、現在飾られているフィギュアは既にわたしによる容赦無い選別を経ており、残った精鋭しか飾っていない。その彼女たちがわたしの部屋の環境から姿を消してしまうのは耐え難い気がする。
フィギュアは残しておこう。これらがシタリちゃんに悪影響を及ぼすということが観測できたら、その時考えよう。

シタリちゃんはロフトベッドの上にちょこんと座り、ごたごたと働くわたしを見守っていた。乗り出したりはしてこないのでベッドから落ちる危険性はなさそうだった。こどもにしては大人しすぎるかもしれない。やっぱりその辺は神様たる所以なのだろう。

少女の養育上の障害となりそうなものをひと通りまとめたり隠したりし、掃除機をざっとかけ終わると、シタリちゃんにロフトベッドから降りてもらった。はしごの登り降りはやや拙い。見守らずに上り下りさせるのは不安だ。彼女の布団は床に敷くことになるだろう…一緒の布団で並んで寝るべきなのかな?

「シタリちゃんは何歳なのかな?」
「シタリは、よくわかりません。」
「やっぱり神様だからむかーしからいるの?」
「うーん…」

要領を得ない。
神様相手だと考えれば恐れ多いから同じ寝床で寝るべきではないだろう。
スペースの余裕を考えれば布団は一組で済ませたいので同じ布団で並んで寝たほうが経済的ではある。
また、こども相手だと考えれば添い寝してあげるべきのような気もする。しかし、自分が幼い頃を思い出すと自分の布団があったな。
布団はこども用のを遅かれ早かれ買うことになるか。それまではひとつの布団を共用とするしかないか。

布団買わないといけないか… お金が…
仕事を早めに探さないといけないな。

シタリちゃんを引き取ったということは彼女の親代わりを引き受けたということだ。
いわば彼女はわたしの娘になったことになる。
こどもを育てるということは大変なことだ。まずなにより、お金がかかる。だから、結婚しても経済的見通しが付くまではこどもを作らない夫婦もいる。こどもは、それなりの準備をして、長い時間を掛けて覚悟を固めて、やっと持つことを決心するものなんじゃないだろうか。

ところがわたしは思いがけずにこどもを持つことになった。
彼女は人間ではないから、人間のこどもよりはお金がかからないかもしれない。学校に行かせなくてよさそうだし、もしかしたらご飯も食べないのかもしれない。
けれど全くお金が掛からないという訳にはいかないだろう。

プライベートの時間が持てなくなる。
お金もかかる。

座布団の上にちょこんと正座してわたしを見上げているこのうつくしい少女が、自分の生活に直影響を及ぼしているということを思い悩むと、疎ましく思えてくる。もし彼女を、自分とは接点が無い存在として街で見かけたのなら、宝石のように価値のある宝物のように感じただろう。

利害というものは世界の見え方を変える。
こんなに可憐な女の子が、自分の目に必ずしもプラスでない価値のものとして映ることが、我ながら意外だった上に、なんだか自分自身が社会の冷たさの冷却材になったような気がして、恐ろしさを感じた。

わたしが暗いことを考えていることは、シタリちゃんはすぐに察することが出来るらしい。神社でもそうだったけれど、わたしが彼女に疎ましさを感じるときはいつも、シタリちゃんの顔には不安が浮かんでくる。

自分が彼女を悲しませているとはいえ、かわいそうだ。
頭を撫でてやる。髪の毛はぺたんとしているので直接頭蓋骨の丸みを撫でている感覚だ。
シタリちゃんは嫌がらずに頭をなでられている。

わたしはちょっと感動した。重い気分と矛盾するようだが、思う存分頭をなでられるようなこどもが欲しいという思いは前から抱いてはいた。ただ、それが実現されることがあるとすれば、長い準備期間や予兆があってからだろうとは思っていたが。

とりあえず、当面の問題を整理しよう。
パソコンの電源を入れた。

「シタリちゃん、テレビでも見てるかい?」
「シタリは、とおさまを見ています。」

まだ彼女はこのアパートに始めてきたばかりだ。落ち着かないだろうし、わたしを十全に信頼しているわけでもないだろう。わたしの様子を見守りたいということだろうか。

「わたしはしばらくパソコンやってるけど… こっち座る?」
「うん。」

シタリちゃんを膝に乗せてやった。ロフトベッドの下で空間に余裕がない。窮屈になりながらパソコンを操作する。
女の子の体の感触が接触部分から伝わってくる。こどもだと思えば親愛なる感覚にすぎないけれどかわいい女の子だと思えば受ける刺激が強い。
わたしは彼女になるべく女性性を感じないように心を整えることにした。

幸い、パソコンの壁紙はアニメの美少女キャラのものではなかったのでやましい心を抱かずにパソコンを操作することができた。ただし普段巡回するサイトにはアクセスしなかった。

まずブラウザとTwitterクライアントソフトとを立ち上げる。
キリコさんに教わったIDから、彼女のTwitterアカウントを探す。
それはすぐに見つかった。フォローする。

[@キリコ フォローいたした よろしゅう]
とりあえず挨拶をツイートしておく。

[【速報】幼女が養女になった。]
ついでに今回の事件の要点を投稿した。

[@ナカヨシ kwsk]
[@ナカヨシ 警察呼んどくわ]
[@ナカヨシ いつかやると思ってたけどついに犯罪に手を…]
[@ナカヨシ 養生しろよ]
複数のフォロワーからすぐにレスがあった。

[まあ親戚の女の子をしばらくアパートで預かることになったんだけど]
適当にでっち上げておいた。

[@ナカヨシ ょぅι゛ょヵゎぃぃょょぅι゛ょ]
[@ナカヨシ Kさんこんちわ! さっきはどうも ナカヨシってのがハンドルネームなんだね?]
[@ナカヨシ その親戚は娘を預ける相手を間違えるにもほどがあるんじゃないか 通報の準備だけは万全整えておく]

あ、キリコさんのレスが混じってるな。

[@キリコ リフォローありがとうございます。わたしの本名が「言寺 仲良(コトデラ ナカヨシ)」なので ナカヨシさんと呼ぶとわたしは喜ぶでしょう]

[@ナカヨシ じゃあナカヨシさん こっちでもよろしくねヽ(`Д´)ノ]

[@キリコ わからないことや困ったことや相談事があれば連絡しますゆえ]

キリコさんにひと通り挨拶しておいた。Twitterでつながっていれば連絡しやすいので助かる。


さて。Twitterで遊ぶためにPCを立ち上げたのではない。
テキストエディタを起動して、当面の問題を書き出してみた。
■衣食住。
■衣類を買わないといけない。着替え。下着も。キリコさんに協力要請。
■人間と同じものを食べるのか。
■部屋を片付けて居住スペースを広げなくてはならない。
■仕事。職探ししなくては。家をあける間シタリちゃんがひとりになる→キリコさんに預かってもらう?
■入浴。女の子をお風呂に入れるのはいろいろ問題ありそう。キリコさんに協力要請。
■教育。年齢がわからないし戸籍もないならやはり学校通うのは無理なのだろう。神様に教育は必要?

こんなものか。
これらの疑問を明らかにする基本的な手法は、シタリちゃん本人との対話である。

「シタリちゃんは、お着替えは必要かな? お洋服。神様は着物着替えたりする?」
「神様も、おきがえします。」
洋服は必要そうだな… タンスも必要か。置く場所工夫しないとな。出費…

買い物メモが必要だ。わたしは机の上の付箋にメモをつけた。

洋服 箪笥

女の子用の下着などを買うのはハードル高いのでここはキリコさんに動員願いを出そう。

【02-02】

「シタリちゃん、お腹すいた? そろそろごはんにしようか。」
「シタリは、おなかがすきました。」
時計は18:30頃を指していた。
わたしはいつも夕食は21時過ぎ頃に食べるのだが、今後は摂食リズムを早い時間帯にずらさなくてはならないだろう。
神様は人間と同じものを食べるんだろうか?
栄養素は人間と同じように代謝されるんだろうか? すると栄養バランスを考えないといけない? まあ普段から自分が食べるものはそれなりに考えているんだけれど。
今回の食事でシタリちゃんの摂食の様子を観察しなくてはならないな。
わたしは、いつも一週間分くらい作り貯めておく野菜スープを火にかけた。

玄米混じりのご飯。
さんまの蒲焼の缶詰。
野菜スープ。
パックのめかぶ。
納豆。

今回の夕食のメニューは以上のものだ。
盛り付けの段階で気づいた。食器が一人分しかない。大きな丼ひとつ、中くらいの丼ひとつ、味噌汁茶碗ひとつ。
食器も買い足さないといけないな。

食器

買い物メモに追記しておいた。

自分の分は大きな丼ひとつで済ませることにした。ご飯をよそり、スープをその上から掛けた。
残りの丼にご飯を軽く盛り、茶碗にスープを注ぐ。シタリちゃんの箸は割り箸で。
缶詰は缶から直接食べる。

「シタリちゃんは食べられないものあるかな。」
「おそなえものは、なんでも、いただきます…」
食べ物は彼女にとってお供物なんだな。

「いただきます。」
「いただきます…」

わたしの部屋は畳敷きであり、食卓はコタツだ。今は夏なので布団はもちろん使わずにただ大きな座卓として使っている。
シタリちゃんは座る姿勢が異様に良く、何も言わなくても正座をする。たしかに神々しい。
しかし神様としては意外にも箸を使うのには不慣れなようで、ごはんやさんまを卓上にポロポロこぼしながら食べていた。

そうか。こどもって食べ物をこぼす生き物なんだな。

フォークやスプーンはあるのだが、箸を使う練習をさせるべきではないだろうか。
しかし彼女は年齢の変動しない=これ以上の学習をしない存在なのかもしれない。

「シタリちゃん、フォーク使う?」
「うん。」

結局フォークを手渡した。

「ごちそうさまでした。」
「ごちそうさまでした…」

観察したところ、シタリちゃんは人間と同じものを人間と同じように食べる。好き嫌いは少なさそう。
しばらくはわたしと同じものを食べてもらい、健康状態に影響が出るようなら考えよう。

食事を終えて歯を磨こうとして気づいた。
シタリちゃんの分のハブラシが無い。
わたしは自分がかなり歯の健康に気を配っている方なので、口腔内の清潔については気になってしまう。ましては現在はわたしがシタリちゃんの口中の清潔の責任者であるのでこれを見過ごす訳にはいかない。
ハブラシごときならアパートから徒歩1分のコンビニで買える。

「シタリちゃん、ちょっとシタリちゃんの使うハブラシを買ってくるね。おうちで待っててくれるかな?」
「… シタリも… いっしょにいく…」
「すぐ戻ってくるから待ってて。ね。テレビ見てて。ほら、ハリー・ポッターやってる。」

シタリちゃんの不安そうな様子が強まったが、下駄を突っ掛けてアパートを出た。
この外出には別の狙いがある。どうせ数分で戻ってくるのだし、シタリちゃんが一人で留守番ができそうかどうかのテストをしたいのだ。
ひとりになった際、おとなしくしているタイプなのか、いろいろ部屋の中をいじったりするのか、それとも神様だから超常的な何かを起こすのかもしれない。
短い時間家で一人になってもらってテストをする価値はあると思う。

わたしは最寄りのミニストップでこども用のハブラシを買った。
駆け足で戻った。

【02-03】

「ただいま。」
アパートのドアを開けると、すぐ目の前にシタリちゃんが座っていた。
両腕に何か布を抱き抱えている。

「おかえりなさい、とおさま。」
シタリちゃんが抱きついてきた。

「その手に持ってるのはなんだい?」
「あの… おようふくとしょっき… もういっこはよめなかった…」

シタリちゃんから布地を受け取ると、たしかに女の子向けのワンピースだった。
それに、見覚えのない漆塗りの茶碗がひとつ。

新たに出現したものがふたつ。洋服、食器。

共通点は卓上に残した付箋に書いておいた買い物リストの項目だ。箪笥は漢字が読めなかったらしい。

「これらはどうしたのかな。」
「とおさまがほしがってたから…」

彼女には相手が望むものを与える能力がある。
神通力を行使したんだろう。
だが、神社でMTGのカードを取り出した際はその後すぐに失神してしまったが、いまはあの時よりも負荷の重そうなものをふたつ取り出したのにもかかわらず、彼女の様子に大きく変化はなかった。ちょっと眠そうなくらいだ。
食事を摂ったりして多少ちからに余裕ができたのだろうか。

「シタリちゃん、わたしと… おとうさんと、これからふたりで暮らしていくにあたって、いろいろ約束事を作っていこう。」
「やくそくごと…?」
「これはしちゃだめ。これはしてもいい。そういう決まり。ルール。わかるかな。」
「はい。」
「じゃあいいかい。超能力でものを取り出すのはやめよう。」
「とおさまのほしがってるもの?」
「そう。」
「…どおして…?」
「ものを手に入れるということは、交換じゃないといけない。お金で買うとか、働くとか。神様の力で与えられるというのは交換ではなくてバランスが悪い。」
「…?」
「そういうふうにしてものを手に入れていくことは、どこかでツケになって、わるい形をとって、わた… おとうさんに返ってくる、おとうさんはそう思う。だから、ふだんから特別な方法でモノを手に入れないようにしておいがほうがいい。
それに、シタリちゃ… シタリは、超能力を使うごとにちからが弱っていくんだよね?」
「…ものを出すと、つかれるの…」
「さっきの神社でみたいにまた気絶したりするととても危ない。だから、ものを取り出すのは、なしにしよう。わかったかな。」
「…でも、シタリ、それしかできないよ…」
「こどもというものは、なにもできないものだ。できることが増えていくのが成長というものです。おとうさんと約束できるかな。」
「…はい…」

シタリちゃんは頷いたがずいぶんつらそうだった。彼女にとってみれば、超能力だけが人間の心を彼女につなぎとめておく手段なのかもしれない。

今回取り出された洋服と茶碗とは、また板野神社に奉納するべきだな。今度持って行こう。

「じゃ、シタリ、ハブラシを買ってきたので歯を磨こう。まずひとりで磨いてごらん。」
ハブラシに歯磨き粉を少量付け、シタリに渡す。
そういえばシタリ用のコップもない。これも買わないと。
とりあえず自分のコップをざっとゆすいで彼女にクチゆすぎをさせ、歯を自分の手で磨かせる。わたしも歯磨きを始め、磨きつつ、シタリが自力でどの程度歯を磨けるのかを観察する。

「ハブラシを、歯と歯茎との境目に当てて、ハブラシは横に軽く動かすんだよ。」
「ふぁひ」

どうも彼女は十分には自分の歯を磨けるだけの技量を身につけてないようだ。
ひと通り自分で磨ける範囲で歯磨きをしてもらったあと、残りはわたしが磨いてあげた。
ひとの歯を磨く経験は介護職時代はよくやっていたし、わたしの得意技能のうちのひとつだったので、そう苦労はしなかった。

介護職時代とは別に、シタリの歯を磨いてあげながら思い出したもうひとつのことは、父が亡くなったときのことだ。
父は去年、癌で亡くなった。本人の希望で臨終は自宅で迎えた。
父が亡くなった際、看護師さんが遺体を清める処置をしてくださったのだが、口腔内をきれいにする処置はわたしが希望してやらせてもらった。口の中を清める作業に、父への長年の感謝を気持ちを込めた。

シタリの歯を磨きながら、この子が健康でありますようにと、心のなかで唱えていた。

【02-04】

当面の問題。
入浴である。
疑問点。神様は入浴を必要とするだろうか。

「シタリ、お風呂入りたい?」

この質問をした途端、彼女の表情が今まで見なかったほどに明るくなった。

「うん! シタリ、おふろ、はいりたい! とおさまと、いっしょに、はいる!」

血のつながってない少女をわたしが入浴させるのは人道の観点から言って適切ではない。
こういう時のためにキリコさんがいる。シタリを入浴させるミッション、彼女に依頼しよう。
わたしはキリコさんに電話した。

「もしもし。」
「もしもし。キリコさんの携帯ですか。」
「そうですが。」
「言寺ナカヨシです。先程はどうも。」
「ああナカヨシさん。どうしたの。」
「キリコさんを見込んでお願いがあります。」
「内容は?」
「シタリ…ちゃんをお風呂に入れてあげてもらえませんか。」
「お風呂? 別にいいけど… っていうかナカヨシさんどこに住んでるんだっけ。」
「板野神社から徒歩約5分。」
「あ、やっぱり近所なんだ。」
「今から連れていってもいいですか。」
「ちょっと待って、あ、こっちから掛け直すや。」
「ああそうすか。じゃあお願いします。」
いったん電話を切った。

「とおさま、おふろ、いっしょにはいってくれないの…?」
「いまキリコお姉ちゃんにお願いしたから、ちょっとまってね。」
「シタリは、とおさまと、はいりたいです。」

まもなくキリコさんから折り返し電話が来た。
「もしもし言寺です。」
「お風呂はキミが入れてあげなさい。」
「どうしてそうなった。」
「キミはシタリちゃんの親代わりを引き受けたんだから、いつか通る道だよ。」
「犯罪に類する行為だと思わないかね。」
「キミが変なことしたら強烈な天罰が確実におりるようにこっちで祈祷しておくよ。シタリちゃん自身はキミと入るの嫌がってるのかな?」
「ええーとシタリは…」
「シタリちゃんと代わってくれる?」

わたしはiPhoneをシタリに手渡した。
「この辺を耳に当ててね。神社のキリコおねえちゃんがシタリとお話ししたいって。」
「はい。」

「もしもし? シタリちゃん?」
「こんばんは。」
「どう? おとうさんにいじめられてない?」
「シタリは、とおさまとごはんをたべて、はをみがいてもらいました。」
「あらそう? 意外と甲斐甲斐しいんだなナカヨシさん。
シタリちゃん、お姉ちゃんとお風呂入る?」
「シタリは、とうさまと、おふろにはいりたいです。」
「そうなんだ。わかった! じゃ、お父さんに代わってくれる?」

シタリからiPhoneを受け取った。

「神様の意思を尊重たてまつりなさい。これは巫女としての通告です。」

「わたしももちろん美幼女であるシタリをお風呂に入れてあげたいのはやまやまなんですが、良心に照らしてやましさを感じるわけです。」
「父親になりきれてないんだね。きみロリコンなの?」
「そうではないはずですがシタリにはうつくしさを感じますな。」
「キミが気の迷いを起こさないように祈祷しておいてあげるよ。」
「ま、だから、正直、キリコさんの同意があるならシタリを入浴させるのを自分に許可してもいいと思っています。」
「え、あたしが鍵なのそこ。」
「江戸時代の役職には目付というのがいて、これは役人の行動に不正がないか見張る役目だったらしいですね。例によってわたしの知識は厳密ではないんですが。」
「うん。」
「逆に言えば公正な行動だと証を立てるためには目付に立ち会ってもらえばよい。わたしがキリコさんに期待しているのは、わたしの良心に対する目付の役割なわけです。」
「やっぱあたしって人望があるから頼りにされちゃうんだよねー。」
「と、いうことでじゃあわたしがシタリを入浴させます。よろしゅうござんすか。」
「よろしゅうござんす。」
「今回は入浴が無事終わったら報告の電話をそっちにします。ご了承願いたい。」
「わかった。いいよ。」
「よろしく。じゃあではまた。」

電話を切った。

「じゃ、シタリ、お風呂入れてあげよう。」
「うん!」

【02-05】

ここでも介護職時代の経験が活きる。
一年でやめてしまったけれど、介護の仕事というのは本当に大事なことをたくさん教えてくれるんだなあと実感する。

入浴介助。
シタリを入浴させるのはいいとして、別にわたしが同時に入浴する必要はないと気づいた。わたしのやるべきことは、彼女が一人でどの程度入浴動作を行えるかの観察と、できない部分の補助とだ。

「シタリ、服は自分で脱げるかな?」
「はい。」

脱衣を見守る。こうなったら介護職の時の精神で物事に当たろう。
けれど、やっぱりシタリは女の子で、うつくしい。見惚れてしまう。やましさを感じずには見られないが、まあでももうひるむのはやめよう。

シタリは脱衣の手際はよくなかった。新しく衣服を買うにしてもボタンが多いものや胴回りのゆとりのないサイズのものは避けるべきだろう。

裸になったシタリを、なるべく直視しないようにして、狭い浴室に誘導する。わたしはTシャツにハーフパンツの、まあ要するにいつも部屋着姿だ。
シタリはいきなり浴槽の蓋を開け、水に入ろうとした。

「待ったシタリ、風呂は沸かしてないんだ。それは水だよ。今回はシャワーで頭と体洗って湯船には浸からないで上がるつもりなんだけど。」
「シタリは、みずに、つかるのが、すき。…だめ?」

うーん、どうなんだろう。
相手が人間でないから判断が難しい。
水に浸かるのは体を冷やすので良くなさそうだけど神様的には苦にならないのかもしれない。
今回は水に浸かってもらおう。

「じゃあわかった。先に頭と体とを洗っちゃおう。それから水に入ろうね。」
「うん。」

シタリを浴室用の腰掛けに座らせる。
シャワーからお湯を出す。適温に調節してやる。うちのアパートの風呂はシャワーの操作がちょっと複雑なので、今後もしばらくはひとりで入浴させるのはやっぱり難しいかもしれない。
頭を濡らしてやる。

「頭自分で洗えるかい。」
「やって、みます。」
「シャンプー付けてあげるから手、出して。」
「しゃんぷー?」

どうもシャンプーを知らないらしい。
というか人間のこどもの姿で入浴することにそんなに慣れてないのではないか。

頭にシャンプーを直接つけてあげる。
「洗ってみて。」
「うん。」

シタリは手のひらで頭を撫で始めた。指どころか爪も立てない。
昔の時代の人間はこのように頭を洗っていたんだろうか。むしろわたしには、彼女には入浴の標準的な方法の知識がないように思われた。

「いいや。おとうさんが洗ってあげよう。頭を洗うときは、シャンプーという、髪の毛用の石鹸みたいなのを付けて、手のひらではなく、指の先で洗います。ただし、爪を立てて頭の皮を引っ掻いてはいけません。」
「はい。」

頭を洗ってやる。シタリは目をぎゅっと閉じている。シャンプーハットが必要かもしれない。

顔や胴体の洗い方もおそらく詳しくはないだろう。簡単に説明してあげながらまず自分にやらせてみて、それからわたしが洗ってあげた。

「はい、じゃあこれで頭と体とは洗い終わり。」
「とおさま、水に入っていい?」
「そんなに水に入りたいのかい。」
「うん!」

「じゃ、気をつけて、滑るから浴槽の縁につかまって。」

浴槽の背丈は、シタリくらいの身長のこどもがまたぎ超すにはやや高い。
足を滑らせて転倒して怪我したり水に落ちたりする危険は考えられる。ここも見守りが必要なポイントか。

湯船に浸かるという行為は、シタリが珍しく嬉しそうに積極的に行ったものだ。
彼女が嬉々として浴槽に張った水に全身を浸けると、奇跡が起こった。

シタリの身体がその場で突然成長し、妙齢の女性になったのだ。

シタリは、竜宮童子。竜宮というくらいだから竜宮城から来たのだろうか。竜宮城といえば海にある。彼女のルーツは海にある。シタリが入浴を喜び水に入りたがったのは、水からパワーを得ることができる神族だからに違いない。

「シタリ…さま。そのお姿は…?」
「とおさま、おみず、きもちいいね。えへへへへー。とおさまも、いっしょに、はいりましょう。」

あ、おとなになるのは身体だけで精神はこどものままなのか。
昔の有名マンガみたいに、水をかけるのがスイッチになっておとなになるんだろうか。じゃあお湯をかけたらこどもになる?

などと考えながら、わたしは女性らしくふくらみの付いたシタリのからだにじっと見とれていた。
さすが、神様だけあってチート級に美しく均整のとれた肉体をしている。髪も伸びて、肩までの長さだったのが腰までのロングヘアーになっている。

いかん!

自分が見とれているものを認識し、目を逸らした。

そばを離れるのも不自然だし、もっと見ていたいという欲求にも逆らい難かったのもあって、それでも目を伏せつつ浴槽のそばで中途半端な姿勢で膝立ちになっていた。

うつくしい裸体にひるんでしまったのと、水に浸かっているのがあんまり気持ちよさそうだったため、そろそろ風呂から上がろうとはなかなか言い出せなかったが、いい加減狭い浴室内で中腰になっているのも疲れてしまったので、10分くらいで浴槽から上がるように促した。

水から上がる際の彼女の肉体の変化は観察しなくてはいけない、という口実を設けて、シタリが水から出る様子をじっと見守った。
すると、浴槽から立ち上がると10歳の少女程度の大きさまで身体が縮み、浴槽から出ると先ほどまでの6歳程度の身長になった。どうも、水を浴びると大人化するのではなく、水に浸っている身体の面積に応じて肉体が大人化するルールらしいと推測できる。

バスタオルを手渡し身体を拭かせる。手際はよくない。ある程度自分にやらせ、うまくできないところは手伝ってあげた。
着替えはまだないのでさっきまで着ていた衣服を着てもらう。これも手伝ってあげないとうまく身につけられなかった。

彼女の表情は、入浴前まで継続していた不安さの影がだいぶ和らぎ、リラックスしているように見えた。

「おふろ、きもちよかった。」
「シタリはお風呂が好きなんだね。」
「うん。」

わたしはiPhoneを取り出し、キリコさんに報告のための電話を掛けた。

「もしもし。」
「キリコさんですか。」
「うん。どうなった? 天罰下すべき?」
「彼女は神様でしたよ。」
「だから昼間そういったじゃない。」
「新しい超常現象に遭遇しました。シタリは水に浸かると身体が大人になります。」
「あ、そうなんだ!」
「竜宮童子というくらいだから水属性なんだろうと思います。」
「ふーん… それで、変な気持ちを起こしたと。」
「かなり危険な戦場ではあると思います。扇情的な戦場。」
「せんじょ…なに?」
「いや。とりあえず今日のところは父親にふさわしい動きに終始できたと言っていいでしょう。」
「今後も続けられそう?」
「楽観的な見通しは立ちません。その、やっぱり彼女はうつくしいので。」
「キミのレベルアップを期待しているよ。キミが悪さするとキミを信用したあたしまで罪の意識に襲われるからしっかりやってほしいね。」
「ああそうだ、シタリの着替えがありません。明日にでも買わねばならないでしょう。しかし女の子用の服や下着を購入するのはわたしの手には余るミッションです。今度こそキリコ同志の援軍を申請したい。」
「明日? いいよ。何時頃?」
「プランはありません。キリコさんの都合で決めてもらえるとわたしはラク。」
「じゃあ後でメールするよ。」
「よろしくお願います。」

キリコさんはハキハキしてるし頼りになるな。最近の高校生ってこんな子ばかりなのか? 高校生時代友達がひとりもいなかったのでなんとも検討がつかない。
つかないが、心強い味方であることは確実だ。利用し尽くすに越したことはないだろう。

「したらお父さんも風呂に入ってしまうゆえ、テレビでも見て待ってなさい。」
「うん。」
「あ、風呂入ったら水分補給必要か。えーと… 水道水しか無い。水飲んでて。」
「うん。」

ざっとシャワーを浴び、着替え、洗濯物を洗濯機に掛け、洗い忘れていた夕飯の食器を洗った。
シタリはテレビを大人しく見ていたようだが、コタツに突っ伏してぐでっとしている。眠いのだろう。
シタリをいったんコタツから離し、コタツを立て、空いたスペースにロフトベッドから降ろした布団を敷いた。
狭い! コタツいちいち立てたり横にしたりするのめんどくさい! 布団の上げ下ろしなんてやってられるか!
これはやっぱり明日からはロフトベッド使うようだな。
って、そうか、こども用の小さめの布団は床に敷いてシタリに寝てもらい、自分はロフトベッドで寝てればいいんだ。

などとブツブツ考えていると、シタリが多少目を覚ましたようだ。

「眠そうだね。今日はつかれたでしょう。布団敷いたんで寝ちゃっていいよ。」
「とおさまといっしょにねる。」

ああそうか。こどもか。寝かしつけてあげるという動作があるな。
シタリに、布団に横になってもらい、わたしも添い寝した。
こどもの体は熱量が高いものだ。暑い…かと思ったらそうでもない。
むしろシタリの身体はひんやりしている。このあたりは水属性の神様だからなのかもしれない。

さっき間近で見てしまったシタリの裸体が思い出されてむやみにドキドキしてしまう。どの年齢の姿もうつくしさで目が奪われた。
その彼女が目の前で寝ている。
世の父親は娘に対してこういう気まずい感情を抱くものなんだろうか。赤ちゃんの頃から見つめ続けて育ててあげれば異性としての意識なんてものは完全に浄化されてしまうのだろうか。

わたしにはまだ慣れが必要だ。
ただ、かわいい女の子に添い寝して寝かしつけてあげるのはとても気分がよい。
幸福感を感じる。

シタリはすぐに寝息を立て始めた。


今日は神社でシタリに出会ってからずっと彼女のことを考えていた気がする。
アパートに彼女を連れてきた際にわたしの精神を重たくしていたもろもろの不安は、消えたわけではないけれど、わたしの意識の表面からは遠ざかったようだ。
それよりも、彼女と会話したり、彼女の生活を支えたりすることがもたらすひとつひとつの実感が、わたしに幸福感を感じさせた。

こどもはしんどいが見返りが大きい。
いや、自分のこどもではないし、彼女は神様だし、現実では及びがたいくらいにうつくしい存在だ。幸福感はそこからもたらされているのかもしれない。だから親−子関係一般に敷衍することはできないのだろう。

なにせよわたしにとって、シタリは生きがいになる予感がした。

生活を支えるのは経済である。好むと好まざるとに関わらず。

わたしはPCに向かい、職探しサイトで情報を集め始めた。
気が付けばシタリの寝顔を眺め、気味悪くにやけていた。